病気は私から体の自由を奪った。しかし病気は人生の可能性を教えてくれた。そして今、これまでよりも幸せに、自由に生きている。

佐々木理事 2022年11月1日 Facebook記事より

病気は私から体の自由を奪った。しかし病気は人生の可能性を教えてくれた。そして今、これまでよりも幸せに、自由に生きている。

人間なんてもともと不自由な存在。空を飛べない。海に潜り続けることもできない。地上を這いつくばっているだけ。私と「健常者」に大きな違いがあるとは思えない。

でも、意識の中の人間の可能性は無限大。私は一日中、大きな意識の宇宙の中を忙しく、そして自由に動いている。「健常者」の多くは、こんな自由な世界を知らない。

それこそ、人生の喜びを知らない、不幸なことだと思う。私は今、病気に感謝している。私の人生は、病気がなければ、きっとつまらないものだったと思う。

一生、働かされて、生かされて、そして死ぬ。今、私は、生きている。自分の意思で、自分の生きたいように生きている。そして、それを支えてくれる人たちと、心でつながっている。刹那の出会いの中で、ただ時間をつぶすように消費していた人間関係、そんなものとは全然違う、エネルギーでつながっている。自分の人生を取り戻してくれた、この機械(人工呼吸器)には心から感謝している。そして、安易な死の選択を思いとどまらせてくれた人たちにも。

―――僕が在宅医療を選択することになったきっかけは、あるALSの患者さんとの出会い。そんな彼女が視線で入力し、僕に送ってくれたエッセイ。病気を治すことだけが医者の仕事じゃない、彼女はそんなことを教えてくれた(と僕は勝手に思っている)。

自分の生き方に悩んでいた17年前。彼女のこの言葉に衝撃を受け、僕は東京大学大学院を退学し、マッキンゼーの内定を辞退し、東京・千代田区に小さな診療所を開設した。人は治らない病気や障害があっても、自分の人生を肯定できる価値観と、自分で選択した生き方のために必要な生活環境があれば、人は幸せに生きていく力がある。彼女に教えられたことを信じて、ずっと走ってきた。

しかし17年の経験の中で、在宅医「が」患者を幸せにすることはできない、ということも学んだ。幸せ、人生に対する納得や満足は、医師が教える・与えるものではなく、患者自身が見つけるものなのだ。在宅医療で出会う患者さんやご家族の多くは、身体の症状だけではなく、本来あるべき自分の身体、本来送れていたはずの生活や人生とのギャップに苦しんでいる。

しかし、失われた身体の機能、失ってしまった過去の人生をいくら悔やんでも、機能が戻るわけでも、人生が好転するわけでもない。残された機能、自分の強みを見つけ出す。どうすれば、それを最大限発揮できるのか。自分の生活や人生において大切なものはなにか。それを取り戻すために何ができるのか。患者さんやご家族が、こんなふうに顔を上げてくれたら、その先に幸せを見つけることができる。

でも、どうすれば顔をあげることができるのか。そして、そこから先の人生を、よりよく生きていくことができるのか。それを一人称で語ってくれたのが玄三さんだ。難病(ALS)、人工呼吸器。

この2つのキーワードにネガティブなイメージが頭に浮かぶ人もいるかもしれない。確かに彼の生活には多くの障壁がある。しかし、彼は、アスリートがボルダリングウォールを楽しむかのように、その障壁を乗り越えるプロセスを家族や仲間とともに楽しんでいる。どんな状況もポジティブに受け入れ、新しい課題が出現すれば、それにチャレンジし、優雅にクリアしていく。彼の日々の暮らしの発信は、病気や障害とともに生きるたくさんの人たちを勇気づけてきた。この先に何か解決があるのか。

僕自身も対人援助で壁にぶつかるたびに、玄三さんのフィードからエネルギーをもらってきた。

彼の生きざまは、難病とともに生きる人だけでなく、加齢とともに衰弱し、病気になり、心身の機能低下・障害とともに生きていくことになる私たち全員にとって、これから先の人生とどう向き合っていけばいいのか、1つの方向性を示してくれているように思う。11月12日、玄三さんの自宅から、玄三さんの言葉とくらしをみなさんにお届けすることを計画している。ぜひ玄三さんの話を聞いてほしい。

ICFとか、生活モデルとか、たぶん僕たちが使っている言葉の本当の意味が、彼のLife(生命・生活・人生)の中にある。

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