10年後の在宅医療

佐々木理事 2023年 9月23日 X記事より 

10年後の在宅医療

在宅医療は、超高齢化の進む地域を支えるためのキーとして、その普及が強力に後押しされてきた。潤沢な診療報酬の設定により、特に都市部においては多くの在宅療養支援診療所が開設され、在宅医療の提供量は右肩上がりで増加している。

地域によっては在宅医療の提供者がまだ足りないという指摘もある。多くの在宅医療機関が立地する東京においても、東京都医師会はさらに在宅医療の担い手を増やすべく「東京都在宅医療塾」など地域のかかりつけに在宅医療への参入を促すべく取り組んでいる。

しかし、これからの10年、在宅医療を取り巻く状況は大きく変化する。在宅医療も変化を強いられるはずだ。

① 患者の変化

現在の在宅患者の多くは85歳以上の高齢者だ。彼らが生まれたころ、日本の平均寿命は60歳代。自分が長生きすることに備えることができないままに年を重ね、要介護状態になってしまった人が多い。また、高齢患者の多くは「与えられる医療」=医師のパターナリズムに慣れている。医師に対して尊敬の念を持つ高齢者も多く、医療の限界点はどんどん高度化する中で、自らの志向で医療を選択(中止)することが難しい。

しかし10年後、在宅患者のメインは団塊の世代となる。与えられる医療やケアに満足せず、自らの要望を強く主張する患者の割合が高くなるのではないか。自分が将来どのように歳を重ねていくのか、事前に備えをしている人の割合も増えていると思う。

在宅医療は、これまで以上に提供者中心ではなく、患者の価値観を中心とした医療が求められるようになるのではないか。

② テクノロジーの進化

デジタルデバイスはさらに簡素化され、活用が進む。在宅で診断・治療ができる範囲が拡大する。特に超音波検査装置は小型化・高機能化が進み、肺炎や骨折などの診断領域においてもエックス線検査など旧来の標準的モダリティと置き換わりつつある。このようなコンパクトな診断装置が普及すれば、在宅患者の「病院での精査」は減っていく。

オンライン診療も一般化していく。日本は医療機関へのアクセシビリティが高く、諸外国のようにオンライン診療は普及しないと予想されていた。しかし、コロナ禍を経て、医師・患者はその利用価値に気づきはじめている。特に通院困難な在宅患者にとって、オンライン診療は在宅医療(訪問診療・往診)に見劣りしない選択肢となるだろう。特に団塊の世代は、その多くがPCやスマートフォンなどのデジタルデバイスを違和感なく利用できる。使い慣れたシンプルな通信アプリで利用できる遠隔医療サービスは、訪問診療の一部を確実に代替していくはずだ。

在宅モニタリングの可能性も拡大する。現在、高齢者施設等においてスリープセンサーが広くされるようになっているが、これらは単に体動や睡眠状態のみならず、呼吸数などもモニタリングできる。

これにより、日常生活の質を定量化できれば、医療やケアのアセスメントをより科学的に行うことができる。 例えば、日中不機嫌でケアの関わりを拒絶されることの多かった認知症の高齢者、睡眠の質を可視化すると浅眠で中途覚醒を繰り返していることが判明、入眠導入剤を調整し夜間の睡眠の質を改善したところ日中も穏やかに過ごせるようになった、そんなケースを先日経験した。

また、呼吸数のモニタリングにより、心不全や肺炎の悪化などを早期に検知できる可能性もある。独居でも、自分で体調変化を訴えることができなくても遠隔で見守りをすることができる、このようなデバイスが普及すれば、在宅医療のカバーできる領域が拡がる可能性がある。

③ 社会保障財源と患者の自己負担

社会保障財源は厳しさを増す。特に国民の健康保険料に対する負担感は年々大きくなっており、その適正利用に対する意識はさらに高まるだろう。機能強化型在宅療養支援診療所が提供する訪問診療は毎月約7万円の診療報酬が発生する(月2回訪問の場合)。この報酬に対して、どのような価値が患者や社会全体に提供されているのか。そのアウトカムに対する説明責任が求められるようになるのではないか。現在、在宅医療は、その質の評価指標ですら定まっていない。このような状況で、高額な診療報酬を保険者・納税者に請求し続けることは難しくなっていくだろう。

また、患者の側の意識も変わっていく可能性がある。現在、在宅医療を受けている高齢患者の多くは、自己負担割合が1割だ。月7万円の訪問診療を受けても、自己負担は7千円。タクシーで月2回病院受診することを考えると「割安感」がある。しかしこれが3割負担になったら。医師が月に2回訪問して2万円1千円。1回の訪問に1万円以上の費用負担、患者は「割高感」を感じるはずだ。その費用負担に対する説明責任が求められるようになるだろう。少なくとも訪問診療で算定しながら休日夜間に往診できない、などという在支診は存在を許されなくなるはずだ。

■10年後、在宅医療はどう変わるのか。

患者像の変化、テクノロジーの汎用化、そして社会保障財源の厳しさと患者負担の増加、これらにより、在宅医療には次のような変化が生じるのではないだろうか。

① 在宅医療のスタンダードは「月2回の訪問診療」から「月1回未満の訪問診療」and/orオンライン診療へ

医師が患者の自宅を訪問する。これは非常に高コストだ。もちろん訪問しなければわからないことがある。生活環境、生活力、治療や療養指導に対するアドヒアランスなど、まさに百聞は一見に如かず、である。しかし「月に2回の訪問」が本当に必要なのだろうか。患者の病状自体は慢性期だ。初回診療でしっかりとアセスメントができれば、その多くは頻回の訪問は必要ないはずだ。

現在、在宅患者の多くが月2回の訪問診療を受けている。これは多くの場合、患者の病状が不安定で月2回の訪問が必要だから、ではない。月2回の訪問診療は月1回の訪問診療に比べて診療報酬が2倍になるからだ。訪問診療の回数は、現状、患者ニーズというよりも経営ニーズによって誘導されている。そしてそれを許容させているのが患者の少ない自己負担だ。

要介護高齢者の多くは慢性期・安定期にある。終末期にあったとしてもその経過の多くは穏やかで、医療ニーズは高くない。がんの緩和ケア、医療依存度の高い難病患者の在宅医療は月1回の訪問診療では対応が厳しい。しかし現時点での在宅医療の主たるクライアントである要介護高齢者にとって月2回の訪問はおそらく過剰だ。そして、患者の自己負担割合が増えれば、それは患者にとっても「割高」なものになっていくだろう。

② 軽症中心から重症中心へ

保険者や納税者の立場からも、医療ニーズの少ない軽症患者にフルスペックの在宅医療が提供され、潤沢な診療報酬が提供される状況は、その報酬を超える価値が患者や社会にフィードバックできていると証明できない限りは許容できなくなるのではないか。

症状に応じた診療頻度が設定される、あるいは自己負担の増加により、患者がそれぞれにとって最適な訪問頻度(あるいはオンライン診療)が選択されるようにすべきだと思う。 軽症患者に必要なのは医療というよりはケアだ。月2回の医師の訪問を月1回にすることで生じる診療報酬の差額(月約3万円)は3時間分の訪問看護、5時間分の身体介護に充当できる。医師が短時間の訪問で2週間分の処方せんを置いてくるよりも、そのほうが圧倒的に患者のQOLに貢献できるのではないか。

③ 慢性期・安定期から急性期・不安定期へ

自己負担割合の増加に伴い、割高感が出てくるのは在宅医療だけではないはずだ。入院医療もより高額な自己負担が求められるようになる。在宅医療は割安感があるから利用するという患者は減る一方で、入院医療は高額なので在宅医療を選択する、という患者も出てくるかもしれない。

私たちはコロナ禍で若年層の重症肺炎を自宅で治療するという経験をした。それはベストの選択肢ではなかったと思う。しかし、入院しなくても急性期治療ができることを医療者も地域住民も学んだ。

現状、日本の在宅医療は、一般に慢性期・安定期を手厚くカバーし、急性期・不安定期は入院が選択されることが多い。しかし、自己負担割合が増えれば、急性期・不安定期こそしっかりと在宅で支えてほしい、というニーズが顕在化してくるのではないか。そして、ポータブル検査機器や遠隔モニタリング、オンライン診療を組み合わせることで、入院と在宅のケア力のギャップは縮まっていくはずだ。

医療法人社団悠翔会はグループ会社を通じて、5年前からインドのムンバイ・デリーの2都市で高齢者ケア(訪問介護・訪問看護・訪問リハビリ)を提供してきた。インドには介護保険はない。また公的健康保険のカバー率も約2割程度と非常に低い。

従って、ケアは社会保障ではなく、ヘルスケアビジネスとして提供されている。要介護高齢者はクライアントとしてケアサービスを購入する。そこには自ずと「消費者」による費用対効果の厳格な検証プロセスが働く。

インドのケアサービスのクライアントの多くは医療機器を必要としている。気管切開、人工呼吸器、在宅酸素、経管栄養などが必要な人も多い。そこで在宅医療(訪問診療)のニーズも高いと判断し、2021年秋にムンバイで医師による訪問サービスを開始した。

しかし、実際には定期的な訪問診療の依頼は非常に少ない。4000人のケアクライアントに対して、訪問診療を利用しているのは200人程度に過ぎない。その理由は大きく2つある。1つはコストだ。現時点で、インドでは在宅医療は公的保険、民間保険のいずれでもカバーされていない。従って全額自己負担となる。定期的な訪問診療よりも、看護師の長時間のアテンドのほうが患者にとっては安心感がありケアの質も量も確保される。体調変化があれば、看護師のスマホからいつでも医師に相談ができる。

同じコストを払うなら、医師の診察よりも看護師のケアを購入したい、医療的判断が必要な時はオンラインで十分。これがインドの消費者=費用負担者としての患者の判断だ。

医師はオンラインで状況に応じて看護師による対応を指示する。看護師が対応できないものは病院受診を指示する。たとえ医師が訪問診療したとしても、自宅で対応できないものは看取りを除けば病院受診になる。非常に合理的な判断であると言える。

一方、急性期の往診依頼は少なくない。肺炎などの急性感染症やがんの終末期の緩和医療など、できれば入院をしたくないというニーズに急性期在宅医療で応えている。その要因の1つは、経済的なものであろう。保険を持たない患者にとって入院は在宅医療よりも高額なのだ。

日本においても、患者の自己負担割合の増加は、医療を選択する上での重要な要素になるはずだ。

■10年後に向けて在宅医療が取り組むべき課題

在宅医療が量的に普及しつつあることは先に述べた。しかし、残念ながら地域の期待に応えられているとは言いがたい。

多くの国民が最期は自宅で過ごしたいと願っているにも関わらず、それが叶う人は2割に過ぎない。特にがん患者の在宅死はわずか11%だ。多くが病院で亡くなっている。自宅に戻る、自宅で最期まで過ごす。この患者の思いに応えられていない現状がある。

独居に対する不安、病気に対するケアニーズの増大に堪え切れず、本人の意思に反して施設入居が強いられるケースも少なくない。施設は在宅に比較して社会の経済負担も大きく、在宅でのケア提供体制の確保は、患者のQOLのみならず、社会保障費の合理的配分の面からももっと積極的に検討すべきではないか。

また、非常に悲しいことに、地域で孤立し、必要なケアが行われることなく衰弱、孤独死する高齢者も多い。東京都だけでも年間6500件の高齢者の孤独死がある。東京の在宅死は年々増加しているが、これは在宅看取りが増えているというだけではない。

① 「最期は自宅で、最期まで自宅で」をかなえるために

在宅医療は「生活を支える医療」と言われる。しかし、生活を支える前に、「生活を取り戻す」必要がある。病院に丸投げされた退院調整は、病院の平均在院日数を延長し、患者の入院関連機能障害を進行させ、死亡退院を増やす。当院の実績では、病院から退院後の在宅医療の打診を受けたがん患者のうち、実際に退院して自宅での生活に戻れる人は60%に満たない。よりスムースかつタイムリーな退院を実現するためには、退院調整を病院ではなくそれぞれの地域を熟知する在宅医療機関が中心となって行うべきではないか。

② 在宅医療の主役は医師から看護師へ

なんとか退院できた患者も、そのかなりの割合が退院早期に再入院をしてしまう。病院と在宅のケア力のギャップ、退院時の機能低下からの回復がスムースに進まないこと、家族や介護者の疲弊など、その要因は様々だが、特に不安定期の患者を支えるために重要なのが訪問看護の力だ。いくら医師が頻回に訪問しても、できるのは診断と治療だけ。医療的ケアから生活支援にわたる包括的ケアを行えるのは看護師だ。 質量両面で対応力の高い訪問看護ステーションの確保が在宅医療の質を左右する。在宅医療機関よりも訪問看護の充足を優先すべきではないか。

③ 在宅医療は在宅ケアがなければ成り立たない

在宅医療は、患者が在宅での生活が継続できているという前提条件がある。世帯の支える力が弱る中、家族に依存したケア提供体制は限界が見えている。また介護離職や介護うつは社会全体にとっても大きな損失となる。介護保険制度は本来「介護を社会化」するためにつくられたものであるはずだ。生活を支える基盤となる介護サービスを持続可能な形で運営していくこと、財源と人材の確保はそのための重要な要件である。

テクノロジーの活用や経営の効率化等によりケアの生産性を高める努力は重ねつつ、対人援助として人の手がなければ成り立たない現場を支えていくために、社会保障財源の適正な配分を考える必要がある。 少子高齢化と重老齢化、多死化が進行する中、患者意識の変化や技術革新も加速度的に進んでいる。医療が急速に変化する社会のニーズに柔軟に対応し続けることが、日本の社会保障制度の持続可能性を確保し、社会全体のレジリエンスを高めることにつながる。

10年後に求められる自らの役割を意識し、そこから逆算しながら将来に向けての取り組みを重ねていきたい。

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