母の最期と息を引き取るそのときに家族が同席することについて

古屋聡医師 2023年 10月4日 Facebook記事より 

この記事は、古屋聡先生の承諾を得て掲載しております。

9/3に母が亡くなりましたが、多くのみなさまにお気にかけていただきました。

改めてお礼申し上げます。

さて、そろそろ母の最期について医学的にも振り返っておいて

最後のそのときに誰がいたらいいのか?いなくてもいいのか?についても考えてみます。

さらに「和解と癒やし」について言及します。

母はつまり老衰の過程でした。

寝たきり誤嚥性肺炎の繰り返しが熱を出して感染制御できずに終わるか、熱は出ないけどつばを飲めなくなった上に痰を出せなくなる、つまりマイクロ窒息で終わるか、というところでした。

母の最後の入院は6/6-7/28でした。

ここ1年ほぼ平和にきて、今回もPICCの入れ替えということでしたが、確かにルートは取りづらくなり、経過中MRSA敗血症にもなりました。熱が上がり下がりする中でも、ST和泉くんや病棟のみんながヤクルトを一日何十ccかずつ飲ませてくれていました。

無理はせず、自分で飲み込めるうちは飲んでもらおうと思いました。病棟で粘っても彼女によいことはあんまりない。しかも姉貴とは会えないので、状態が落ちて自分の助手席に乗せての退院後の移動が少し心配にはなったけど、もちろんえいやと退院しました。

数日で左そけいのPICCがつまりましたが、もうあまり考えず、右内頚からふつうにCV取り直しました。(母ちゃんまた痛い思いさせて悪かった)

8月は教員である姉がばっちりついてくれることができて、実は僕も仕事外でもけっこう出かけました。(「清里 夏の夜の語り」など)熱はは出たり入ったりして、抗生剤も使いつつ、でもマイクロ窒息は静かに進みますから「静かに寝てるよ〜」みたいなのがヤバくて、ふと気づいて吸引した時粘った樹枝状の痰が引けたりしていました。

そうしながら、学校の夏休みが終わり(教員しかも学級担任である姉貴が出勤します)、しかしこれから病院に母を入れる気がしなくて、僕も仕事はまあまあ続けることにして、妻に助けを求めました。妻は(夜勤もする現役看護師ですが)肝心な時は実に頼りになります。しかも掃除好き断捨離エース歩くDIYなので、一日母のもとにいてくれる間にすごくいろいろきれいにしてくれます。(めちゃ改革もする)

不安が強い姉ひとりの時にも妻が付き合ってくれると、2人はしゃべり続けます。彼らはけっこう仲がいいんです。

さて母が亡くなった9/3の未明は日曜日でした。

この土日、僕は仕事(当直)で、姉は(教員やってますが)イネ刈りでした。(土日で姉が母のもとにいなかったのはここのみ)

やっぱりまた熱が出て、ダメかなと思いましたが抗生剤を指示しました。(写真の真ん中の付箋が妻の記したものです)

その直後に呼吸停止。妻だけ一緒にいて、僕も姉もそばにいない時でした。

訪問看護を呼んでくれて、妻が一緒にきれいにしてくれ、以前に父が用意していた浴衣を着せてくれました。

後で姉が到着し、僕も当直を早く切り上げさせてもらって実家に行きました。

姉だけ一緒にいる時だったらどうだったか?

姉は驚き嘆いたことだろうと思います。(姉は自分でも言っています)姉が心配そうにいつも自分の顔を覗き込んでいるのと、姉が自分の家の稲刈りに従事しているのと母にとってどちらがよかったか?

義務教育だけようやく受けた母は、大学を出て教員になった姉を誇りにしていました。

教員もやりながら家と家族のために稲刈りもする姉が、それを犠牲にして最期の母のもとにいたかもしれないと考える時、母はどう思っただろうか?

僕は当直でした。

僕が仕事をまあまあやることを、母はほめてくれていましたが、いつも「ご飯はちゃんと食べているか?」と心配していました。

意外にもこの母の終盤に妻が応援に入ってくれたことで、ここ数年には珍しく(笑)、妻の手料理をよく食べました。

母は自分では僕に料理を作ってくれることができなくなりましたが、僕が買ったものとかいい加減なものではない食事をとっているのを見てくれました。

父を看取った後も、母を間欠的に実家でみながらそこで暮らす僕の姿は、ネットでは褒めてもらっても実は母が喜んだかどうかわかりません。

でも

僕ら兄弟が何十年ぶりによくしゃべっているシーン

娘と嫁がしゃべり続けているシーン

息子が嫁の飯をバリバリ食べているシーン(さらに飲んで寝ているシーン)

などなど寝たきり時々開眼でも見てもらえたこと

仲悪くなかったけど「姉貴もやっぱりいいやつだな」と思ったり「ニョーボの飯はやっぱりうまい」だったり。

「和解と癒やし」ってほどではないですが、母が自分で逝ってもいい、と思ったのは、そういう安心ではなかったかな、と思います。

いろんな行き違いでコミュニケーションを積極的にとらなくなっている親子や兄弟は少なくないと思います。親の最期で(でなくてもいいが)共に暮らしてみることは、自分にとっても新たな発見と癒しがある可能性があります。

「母の本当の幸せは何だろうか?」と共に考えることは、「次に自分」の検討も含めて、他にかえがたい大切な時間になると実感しました。

母はここ3年、僕が在宅医としてスキルをアップさせるのに、身を捧げてもくれました。

そして最後に(自分の子どもである僕と姉貴が自らのやるべきことに邁進するのをたぶん感じつつ)妻に看取ってもらいました。

母にも妻にも、僕と姉は本当に感謝しています。

自分のことを今思い起こしても、自分の子どもたちは、生まれてきて顔を見せてくれただけで一生分の幸せを親に与えてくれています。

自分が幸せだったら、親を幸せに送ることができると思っています。いや言い換えます。親孝行は「自分が幸せになることである」ことだと思っています。

この世を去るとき「誰がどこにいようとそれぞれでいいんじゃないかな」と思っています。

佐々木理事からのコメント

古屋先生の言葉に圧倒される。『「母の本当の幸せは何だろうか?」と共に考えることは、「次に自分」の検討も含めて、他にかえがたい大切な時間になる』​『親孝行は「自分が幸せになることである」こと』在宅医として、患者の家族として、人が生きることとは何なのか。近年のACPをめぐる議論のような軽薄さは全くない。ぜひ一人でも多くの人に読んでいただきたい。

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